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2024年8月16日金曜日

『なんがなんでも戦争させない、核兵器を使わせない』今を生きる私たちがすべき行動

1945年8月15日、日本は終戦(敗戦)を迎えました。アジア諸国への植民地支配、侵略戦争、そして自国の民へは「若者よ、人を殺し、街を破壊して来い」と兵站もままならない戦場へ送り出し、国内は思想・言論の弾圧、あらゆる労働、物資の戦争への動員、民衆の生活は困窮の極みとなりました。日本の侵略によりアジア・太平洋諸国で2000万人以上、また日本の兵士民衆は310万人以上の犠牲者を出しました。

8月15日に行われた、安芸太田町戦没者追悼・平和祈念式典に参列しました。安芸太田町遺族会代表と広島県議会議長以外、町長式辞を始め来賓の追悼のことばには、恒久平和への思いは述べられましたが、原爆投下を追及し核兵器禁止を訴える文言はありませんでした。これまでは考えられないことです。この姿勢は、国の核抑止論に同調するもので、多くの被爆者や民衆の訴えと大きく乖離し、また次世代に原爆の悲惨さを継承していこうという政策に矛盾するものです。私は本当に落胆しました。しかし、安芸太田町遺族会代表の追悼のことばは、形式的ではない、心底『戦争はしてはならない、原爆はあってはならない』との訴えで胸に迫るものがありました。

式典の後、この間町が上映している『はだしのゲンが伝えたいこと』の上映を観ました。その中で、父親は反戦主義者で戦争に反対する行動をとり、刑務所に1年以上も入れられていたことや、原爆投下後の惨状をリアルに語っておられました。途中『はだしのゲン』の原画や、広島市内の各所を訪れての証言もあり、素晴らしい映像でした。

(中沢啓治さん71歳の時のインタビュー)

中沢さんは、戦争を憎み、原爆を憎み、戦争を遂行した天皇や軍部・警察の責任を問い、戦争一色に染まった当時の民衆の意識も問題として追及しています。子ども達への講演では、『戦争というのはいきなり起きるんじゃあない。戦争を嫌うやつを何がなんでも戦争の流れに引き込んでいく。流れの恐ろしさ、これを知ってほしい。どんな偉い人が「戦争をしろ」と言ったって、どんなことがあっても反対しなさい』と言われています。

そしてこの日の午後、安芸太田町上殿地域にある『共同墓地』に行きました。これは旧上殿村が造営した、明治以降太平洋戦争に至る戦死者・原爆犠牲者の84基の墓が建つ墓地です。お盆の84基のお墓には、上殿地区遺族会の皆さんによるものでしょうか、それぞれにお花が添えられていました。 この共同墓地は、「ふるさとの戦争」という本で紹介されています。その中で著者は「84基の墓標銘は、そのまま小さな村の戦争の記録を刻む」と述べ、地元の人の「忘れちゃいけん場所です。戦争を繰り返さんためにも、子や孫にこの墓地の意味を伝えたい」の言葉が紹介されています。

今、日本の政権はアメリカとの核同盟を主張し中国との戦争を徹底的に煽っています。私たちは、今を生きる者として『何がなんでも戦争をさせない、核兵器は使わせない』をゲンのお父さんのように行動として貫かなければならないと思います。

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