私は、安芸太田町町の大江です。私の地元の路線が廃止されてもう21年が過ぎますが、今でも思い出話が出ます。まさに私たちの日常生活一部となっていました。
ローカル線切り捨て絶対反対!です。
先ずは、報告から。以前この集会で、安芸太田町は、太田川にかかる13本の橋梁と、国道や県道をまた7本の跨道橋(こどうきょう)合わせて20本の橋梁を撤去する必要があると話しました。現在、国の補助と町の自主財源で一本の橋梁の半分と、跨道橋1本をようやく撤去できました。残る18本の撤去、財源はどうするんでしょうか。町単独はほぼ無理です。老朽化し危険な状態なってどうなるんでしょうか。
安芸太田町の人口減少はすさまじいものです。1980年(44年前)から比べると人口は約57%減、生産年齢人口は約72%減です。しかしこの人口流出は、今に始まったものではありません。私の住んでいる旧戸河内町では、1963年(昭38)年38豪雪で多くの世帯ごとの都市への流出があったとは言え、戦後1955〜73年の経済成長期、国の政策で労働力が都市へ集中させられ、中山間地域は一気に過疎化が進みました。人口のピークだった1955年から1970年の15年で、9157人から4868人、実に43%の減少です。可部線が戸河内町まで延伸されたのが1969年、その時はすでに人口はこのような状況、その後も現在に至る間、緩やかながら減少していきました。地方の過疎化は宿命ではない、路線の利用者減少・赤字は自治体や住民の責任ではありません。若い労働力の集中を必要とする資本主義が生み出したものです。
人口減少をくい止める事に焦点を当てた国の取り組みは「地方に仕事をつくる」「人の流れをつくる」「結婚・出産・子育ての希望をかなえる」「魅力的な地域をつくる」でしたが、それどころか今日人材不足は危機的状況です。安芸太田では、医療・介護・保育現場にとどまらず、行政職員や民間事業所、どこも不足しています。介護・保育の現場は受け入れに制限をかけざるを得ない状況です。
今年7月8日夜の8時前後に岩国米軍基地の戦闘機が私の住む地域、戸河内の上空を100デシベル近い騒音を立てて16回旋回しました。子ども達が「ゆうべすごい音がした。怖かった。」と口々に言っていました。私は中四国防衛局に電話をしてこの状況について問い質し、一般質問で町の対応を追及しました。町の上空で行われている異常な事態、戦争訓練は日常的です。また、岩国米軍基地所属の軍用機の機種変更として、最新鋭の、オスプレイの配備とF-35ステルス戦闘機が配備されました。この配備は米国以外では日本だけのようです。対中国侵略戦争に向けての配備だと思います。
石破首相は「核共有」に前向きな姿勢を示していますが、アメリカとの核共有は日本国内に核を持ち込まなくてできるのでしょうか。 核弾頭が岩国米軍基地か沖縄か、日本中の米軍機基地のどこかに配備され、それが使用される事を絶対阻止しなくてはと思います。
被団協がノーベル平和賞を受賞して、地域の方やイラクのドクターから『受賞おめでとう』のメールや言葉をいただきました。被団協の運動にはかかわっていない私ですが、地元で黒い雨や反戦反核を訴えているからの励ましの言葉だと感じました。
来年3月は安芸太田町議会選挙です。自治体議員としてやるべき義務と責任があるとの思いで出ることを決意しました。