• 安芸太田町議会議員・大江あつこの活動を報告します。
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2024年8月18日日曜日

2024年『福島原発事故の被ばくから遠ざかる“親子で保養”』を終えて

安芸太田の有志で安芸太田保養支援グループを立ち上げ、『福島原発事故の被ばくから遠ざかる“親子で保養”』を始めたのは2013年です。この年希望者はありませんでしたが、次の年は7家族、そして多い年は12家族に保養をしていただきました。途中コロナ感染症を心配して2回休みましたが、9回の実施で述べ70家族(大人78人子ども118人)を受け入れました。

安芸太田での保養は、7月下旬から8月中旬の間、それぞれ都合の良い期間に来てもらい、こちらで用意した空き家で地元の野菜やお米で自炊しながらのびのびリラックスした生活を送って貰うものです。支援の内容は、安芸太田までの交通費・宿泊・移動用車の貸し出しなどです。コロナまでは、みんなで楽しむバーベキューや海水浴も計画しました。何年も続けて参加する家族が多く、子ども達の成長を互いに喜ぶ事が出来るのも嬉しいことです。

当初は「食べ物を気にせずに何でも食べる事が出来る。」「子どもに泥んこ遊びをさせられる。」「落ち葉も平気で触らせられる。」「プールで泳げる。川遊びや海水浴も楽しめる。」など、本来当たり前にできていた事を子どもに制限させている辛さとここに来ての開放感を話されていました。最近は改めて、東日本大震災と原発事故発生の際現地はどうだったか、自分たちはどう避難したについて話をしてもらったり、また成長した子ども達と原発や戦争、原爆の事を話す事もあります。

来し方を思い、行く先を考えるとき、原発はあってはならないと心底思います。また、放射線による健康被害はこれからもどのように発症してくるか分かりません。国・東電は原発事故の謝罪と、放射性物質に起因する病気を認め、今後健診と病気になった時の十分な治療を制度的に保障すべきです。

さて、当保養は支援メンバーの高齢化やスッタフの人数減少等により、年々実施していくのが難しくなってきており、今年で安芸太田での保養は最後としました。運営の全てを全国の支援カンパで賄う事が出来ました。今年振込用紙にはほとんどの方が、「長い間の保養支援、お疲れ様でした。」「福島の人のためにありがとうございました。」「顔を知らなくても仲間だと思っています。」「保養支援は最後と知り、心が痛みますが、核と戦争のない社会をつくるため私も頑張ります。」などのメッセージを書いてくださっています。この様に私たちの保養を心から応援してくださる多くの方のお陰で、保養を続ける事が出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも原発新設、再稼働、そして全ての関連施設に反対していきます。福島原発事故により発生している汚染水放出も許せません。核兵器使用を正当化するような言動がみられますが、絶対に反対です。福島の皆さん、全国の皆さんと共に頑張ります。

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2024年8月16日金曜日

『なんがなんでも戦争させない、核兵器を使わせない』今を生きる私たちがすべき行動

1945年8月15日、日本は終戦(敗戦)を迎えました。アジア諸国への植民地支配、侵略戦争、そして自国の民へは「若者よ、人を殺し、街を破壊して来い」と兵站もままならない戦場へ送り出し、国内は思想・言論の弾圧、あらゆる労働、物資の戦争への動員、民衆の生活は困窮の極みとなりました。日本の侵略によりアジア・太平洋諸国で2000万人以上、また日本の兵士民衆は310万人以上の犠牲者を出しました。

8月15日に行われた、安芸太田町戦没者追悼・平和祈念式典に参列しました。安芸太田町遺族会代表と広島県議会議長以外、町長式辞を始め来賓の追悼のことばには、恒久平和への思いは述べられましたが、原爆投下を追及し核兵器禁止を訴える文言はありませんでした。これまでは考えられないことです。この姿勢は、国の核抑止論に同調するもので、多くの被爆者や民衆の訴えと大きく乖離し、また次世代に原爆の悲惨さを継承していこうという政策に矛盾するものです。私は本当に落胆しました。しかし、安芸太田町遺族会代表の追悼のことばは、形式的ではない、心底『戦争はしてはならない、原爆はあってはならない』との訴えで胸に迫るものがありました。

式典の後、この間町が上映している『はだしのゲンが伝えたいこと』の上映を観ました。その中で、父親は反戦主義者で戦争に反対する行動をとり、刑務所に1年以上も入れられていたことや、原爆投下後の惨状をリアルに語っておられました。途中『はだしのゲン』の原画や、広島市内の各所を訪れての証言もあり、素晴らしい映像でした。

(中沢啓治さん71歳の時のインタビュー)

中沢さんは、戦争を憎み、原爆を憎み、戦争を遂行した天皇や軍部・警察の責任を問い、戦争一色に染まった当時の民衆の意識も問題として追及しています。子ども達への講演では、『戦争というのはいきなり起きるんじゃあない。戦争を嫌うやつを何がなんでも戦争の流れに引き込んでいく。流れの恐ろしさ、これを知ってほしい。どんな偉い人が「戦争をしろ」と言ったって、どんなことがあっても反対しなさい』と言われています。

そしてこの日の午後、安芸太田町上殿地域にある『共同墓地』に行きました。これは旧上殿村が造営した、明治以降太平洋戦争に至る戦死者・原爆犠牲者の84基の墓が建つ墓地です。お盆の84基のお墓には、上殿地区遺族会の皆さんによるものでしょうか、それぞれにお花が添えられていました。 この共同墓地は、「ふるさとの戦争」という本で紹介されています。その中で著者は「84基の墓標銘は、そのまま小さな村の戦争の記録を刻む」と述べ、地元の人の「忘れちゃいけん場所です。戦争を繰り返さんためにも、子や孫にこの墓地の意味を伝えたい」の言葉が紹介されています。

今、日本の政権はアメリカとの核同盟を主張し中国との戦争を徹底的に煽っています。私たちは、今を生きる者として『何がなんでも戦争をさせない、核兵器は使わせない』をゲンのお父さんのように行動として貫かなければならないと思います。

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2024年8月12日月曜日

原爆投下79年ヒロシマ反戦反核の闘い

8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキ、あの残虐極まる原爆が二度も投下された年から79年が経ちました。

これほどむごい殺され方はないという死を無差別に強制されました。そしてその後今に至るまで被爆者は、放射線被ばくによる様々な病気の苦しみと不安の中で生きています。だからこそ、被爆者はこのような苦しみは再び他の誰にも負わせたくないと核兵器廃絶を訴え闘ってきました。

大日本帝国による、アジア諸国への植民地支配と侵略戦争の帰結として原爆投下があることを考えるなら、私は、この国がこれから先他国を侵略する戦争を絶対に許してはいけない、そして再び絶対悪である核兵器を世界のどこにも使わせてならないと心底と思います。

しかし、多くの被爆者や市民、活動家が反戦反核の声をあげているにもかかわらず、岸田政権は核保有国アメリカの核戦力に依存する『核の傘』に入り、アメリカ核同盟国として核兵器保持・使用を認める姿勢を貫いています。

広島市は今年5月、8・6の朝5時から9時の間、ドーム前を祈念式典会場と新たに定義して、周辺の道路まで含め入場規制をし、手荷物検査を実施すると公表しました。(法的根拠はなく、形式的にはお願いと広島市は言っていました。)この規制の理由を広島市は、昨年の8・6原爆ドーム前での反戦反核運動団体(8・6ヒロシマ大行動)と右翼市民団体と市役所職員のトラブルと、そして半年も経っての8・6ヒロシマ大行動団体側の5人の逮捕をあげています。担当課長は、「この規制の原因をつくったのはあなたがただ。」と公言しました。しかしこの事件の担当弁護士は「原爆ドーム前北側に向かう当該市民団体(逮捕された市民団体)の行動を別の市民団体の構成員が体当たりするなどして妨害してきた。それに対する当該市民団体の対応に広島市職員が何らかの形で巻き込まれてしまったというのが本件刑事事件です。」と述べています。

8.6の朝、8・6ヒロシマ大行動は規制が敷かれる前夜から夜を徹してドーム前に座りこみ、翌朝集会をやり抜き、8時15分黙とうをして、逮捕者を出すことなくデモに出ました。例年超大音量で悪罵を発する右翼団体も締め出され、トラブルもありませんでした。私は規制がかかった時間の後この中の集会に入ろうとしましたが、鉄策が置かれ、広島市職員、民間警備会社職員、警察、機動隊の何重もの妨害の中で、外からの参加になりました。しかし、多くの警備隊に阻まれながらも、5メートル先で行われている(良く見えない!)集会が、弾圧を跳ねのけて行われている熱気は感じられました。広島市が、反戦反核運動をつぶそうとしていることは許せません。かつて国が戦争にのめり込んでいく中、自治体はその末端組織として、民衆を徴兵し、監視し、調べあげる兵事係を担わされました。その悔恨から、戦後国から独立した形で地方自治体はあります。国が戦争へ向かおうとしている時、自治体は民衆の一番近い所で戦争反対を訴えるべきです。市民への弾圧などもってのほかです。

新聞やテレビ等では、この事実と正反対に捻じれにねじれて報道しています。これではジャーナリズムもまた反戦反核つぶしの一端を担ってしまっていると考えざるを得ません。しかしその中でも異議を申し立てる新聞社はあります。東京新聞は、この様な見出しで報道しました。『平和祈念式典「入場規制 8・6その日...」『平和は自由が保障されてこそ』『奪われた反戦反核の場「政治利用」』。 地元新聞社・テレビ局こそ丹念に事実を調べ上げ、反戦行動の自由を奪わせない立場に立った報道を望みます。

反戦反核の行動は、この日ばかりではありません。不断の行動のなかで、この日を迎えます。岸田政権はかつて侵略し多くを殺し焼き払い奪いつくした中国をアメリカと共に敵国と名指しし、戦争も辞さない構えです。沖縄、南西諸島(琉球弧)には、それに備えて自衛隊の基地が建設拡大しミサイルを配備しました。これからも今起きている「ウクライナ戦争反対、ガザ大虐殺今すぐやめろ」そして自国が起こそうとしている戦争、核戦争は絶対に許さないと訴え行動していきます。