• 安芸太田町議会議員・大江あつこの活動を報告します。
  • 住民の納得が第一!

  • 一緒に話し合って町づくりをしていきましょう。

2026年7月29日水曜日

2026年7月26日、原爆ドーム前集会での発言

まもなく、アメリカによる広島への原爆投下から81年となる8月6日を迎えます。

直径約400メートル、表面温度約7,700度ともいわれる太陽のような火の球が、人々と街を 焼き尽くし、なぎ倒しました。そして放射線は、一瞬にして命を奪い、生き延びた人々の 身体を、その後も長く蝕み続けてきました。被爆者の切明千枝子さんは、平和公園につい てこう語っています。「ご遺骨も拾いきれないまま、瓦礫の上に土を盛って、木を植えて 公園にしちゃったの。私はいつも『あれは戦争公園だ』と思っておりますよ。」

私たちは毎年、反戦・反核、そして時の首相の平和記念式典への出席阻止を訴えてきまし た。今年は、この式典そのものを「戦争式典」と位置づけ、厳しく弾劾します。

日本は、中国への侵略戦争、そして東南アジアやインドにまで戦火を広げたアジア・太平 洋戦争において、朝鮮・台湾への植民地支配、中国華北での「三光作戦」、南京大虐殺、 細菌兵器の開発や人体実験を行った七三一部隊、軍隊慰安婦制度という性暴力、さらに占 領地での女性への性暴力など、残虐の限りを尽くしました。

中国華北で行われた「三光作戦」は、「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」作戦です。 日本軍はこれを「燼滅(じんめつ)掃討作戦」と呼び、「燃えかすさえ残さないほど徹底的 に滅ぼす」という意味の作戦として実行しました。

広島・長崎への原爆投下は、こうした侵略戦争の帰結です。私たちは、この侵略戦争と原 爆によって無残に命を奪われた人々に代わって戦争責任を追及し、亡くなった方々や遺族 の悲しみと怒りを受け止め、二度と戦争を繰り返さず、核兵器を廃絶することを訴えなけ ればなりません。

そのためには、まず高市政権を倒すことです。帝国主義国であるアメリカはベネズエラ・ イラン侵略戦争を行いました。それは、中国侵略戦争へのより大きな計画の始まりであり、 既に始まっています。その戦争では、日本が最前線に立たされることになります。さらに、 世界戦争、ひいては核戦争へと発展する危険性もあります。

この間、高市政権のもとで、政治・経済・軍事・社会など、あらゆる分野の制度や組織が 戦争遂行に向けて構築されてきました。現在、南西諸島(琉球弧)では、自衛隊の配備や基 地機能の強化が次々と進められています。島々では、「有事になれば、私たちはどうやっ てこの島から避難するのか」、あるいは「国に抗う意思をもって避難しないか」などの議 論が、現実の問題として交わされています。戦争は決して遠い世界の話ではありません。 琉球弧では、戦争が現実のものとして人々の暮らしに迫っています。

さらに、九州にはオスプレイや長距離ミサイルが配備され、弾薬庫の整備、民間空港や港 湾の軍事利用が本州各地へと広がっています。呉は「防衛拠点」として、再び軍事都市へ と変貌しようとしています。

中国の軍事演習は盛んに報道されています。しかし近年、日本もアメリカやフィリピン、 欧米諸国との多国間共同訓練を急速に増やしています。中国を挑発し、中国もそれに対抗 するという緊張が高まっています。

また、高市首相は以前から非核三原則の見直しを唱えています。さらに、首相が登用した 安全保障政策担当者からは昨年末、「日本も核保有をすべきだ」との発言まで飛び出しま した。また、小泉防衛相も核戦力について、「あらゆるタブーなく議論しなければ、もは やどの国も一国だけで安全保障を確立することはできない」と発言しています。

さらに、国家権力による市民監視の問題です。陸上自衛隊中央情報隊が、法的根拠もない まま一般市民の思想・信条や性的指向などの個人情報を収集し、数千人分をデータベース 化して保管していたと報じられています。もし事実であれば、国家権力が市民を監視する 重大な問題です。

今、私たちの生活は、物価高騰や税金・社会保険料の負担増により、生活費を切り詰める 毎日です。公立病院は赤字経営で、いつ経営が立ち行かなくなってもおかしくない状況に あり、医療や介護への不安、社会保障の後退など、多くの困難に直面しています。しかし、 高市政権は、こうした国民生活の課題には重きを置かず、軍備拡大を最優先に進めていま す。長らく維持されてきた「防衛費GDP1%程度」の考え方は岸田政権で転換され、2025年 度高市政権は補正予算も含め、防衛費をGDP比2%へ前倒しで引き上げ、軍備拡大を具体的 に進めています。さらに現在、防衛費をGDP比3.5%へ引き上げる議論まで進められていま す。そんな戦争政権は、私たちの力で倒すしかありません。戦争は、一度始まれば止める ことはできません。

中国やアジアへの侵略戦争を二度と繰り返さない。再び戦争の加害者にも被害者にもなら ない。若い世代を戦場へ送らない。そして、核兵器を世界から廃絶する。人間らしく生き る社会を阻む元凶である、「力によって社会を支配する」帝国主義を打ち倒すため、とも に全力で闘っていきましょう。

ニュースレター37号

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2026年2月3日火曜日

1.31 反戦デモでの発言

超右派である高市政権が進める万全な戦争体制の構築を、国民に白紙委任させようとする今回の衆議院選挙に、私は心からの怒りを感じています。このきわめて正当な怒りを共有し、多くの人々、とりわけ女性や若者、そしてこれまで戦争反対を訴え行動してきたすべての人とつながりたいと思います。

政権の「右傾化」との批判に対し、高市首相は「決して右傾化などではなく、普通の国になるだけだと私は考えている」と述べました。その言う「普通の国」とは何なのでしょうか。

  • 防衛費をさらに増額し、その財源として、私たちが生きていくうえで最も重要な教育・医療・福祉、そしてあらゆる社会インフラを切り捨てることですか。
  • 殺傷能力のある武器輸出の全面解禁、人を殺す産業でこの国の経済を立て直すことですか。
  • 非核三原則の見直し、このヒロシマやナガサキで起きた地獄の惨状を三度繰り返すという事ですか。
  • 攻撃用兵器である原子力潜水艦保有、ミサイル配備って、まさに他国を侵略するための軍事力の強化ってことではないですか。
  • さらに、スパイ防止法を制定し、戦争や自衛隊の活動について語ること自体を罪とし、市民同士が互いを監視し、国家権力に従属させられる社会をつくることですか。

高市首相の言う『普通の国』は、私達にとっては『戦争をする国』です。

2015年、安倍政権は集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を強行し、憲法9条を事実上空洞化させました。2022年には岸田政権が、敵基地攻撃能力の保有や、5年間で43兆円もの軍事費を投じる大軍拡を定めた「安保三文書」を策定しました。(これは、高市政権によって、1年前倒しとなりました。)そして高市政権は、上記の内容を含む「安保3文書」改定を目論んでいます。この一連の流れは、歴代政権が着々と準備を進めてきた『戦争を自ら進んで本当にやる』事を自らの意思で現実のものとし、それを私達にも強制するということです。排外主義を煽りに煽って中国侵略戦争をするという事です。私は断固反対します。

女性差別と蔑視の構造から、私は戦争を考えます。私たちの運動組織の内部にも、確かに女性差別は存在していました。その現実と向き合い、組織自身の変革を賭けて各々自己と格闘してきました。そして今なおその途上にあります。

日本帝国主義国家が進めたアジア地域の植民地支配と占領、そしてアジア太平洋戦争において、戦時体制のもと、国内でも戦場でも占領地でも、天皇制と家父長制に根ざした女性差別が徹底的に利用されました。旧日本軍による戦地での性暴力、軍隊慰安婦制度の設置、さらには占領地での報復を避けるために自国の女性を敵国兵士に差し出す行為――それらはすべて、権力者が遂行した戦争の中で、女性に犠牲を押しつけたものであり、女性差別が極限まで露わになった姿です。国内においても、女性は「銃後」を支える存在として戦争協力体制に組み込まれていきました。沖縄戦における集団自決においても、女性差別の構造が利用されたことが、『沖縄戦』という本の中で明らかにされています。

そして今もなお、私たちの日常の中には女性差別が深く根を張っています。大人の女性に対する差別や蔑視だけでなく、女児にまで及ぶ性暴力が後を絶ちません。戦時下で起きた女性差別・暴力は、決して過去の問題ではありません。戦争と女性差別は地続きであり、差別が放置される社会は、再び戦争へと向かいます。

女性、男性、そしてそれ以外の性の人々全て、私たちは声を上げなければなりません。差別は決して許さないこと、そして戦争を阻止することを。失望を繰り返すだけの選挙に希望を委ねるのではなく、私たち労働者・民衆自身が持つ力を信じ、街頭へ、デモへと踏み出しましょう。

2025年6月18日水曜日

6月19、20日の天皇広島訪問に反対します

本年は、戦後80年という節目であると同時に、政府による軍備拡大が進み、アジア地域でも戦争の危機が高まりつつある中、8月に安芸太田町戦没者追悼・平和祈念式典が行われます。私は、6月定例議会において、式典における町長の式辞について一般質問を行いました。以下は、その質問の中で私が述べた意見です。

アジア太平洋戦争で、当時の大日本帝国は侵略戦争遂行し、アジア諸国の人々約2000万人を死に追いやり、国内では軍人民間人合わせての約310万人の犠牲を出しました。この戦争は天皇制国家の護持を目的としたものであり、その帰結として、東京大空襲を初めとする各地での空襲、沖縄での住民4人に1人が命を奪われた悲惨な地上戦、さらには広島長崎への原爆投下となりました。

現在、政府は軍事費の2倍化、琉球弧諸島の急速な軍事要塞化を進めています。また、中谷防衛大臣は今年3月、アメリカのヘグセス国防長官との会談で、「東中国海、南中国海、朝鮮半島を中心とした地域を一体的なシアター(戦時に一つの軍事作戦を遂行する地域)として、日米韓豪比が協力して展開しよう」とワンシアター構想を提案しました。ヘグセス長官はこれを歓迎した、また『有事の場合は日本が前線に立つ』との発言の報道もあります。日本が再びの中国侵略戦争において前面に立ち、主導的役割を果たすという方針の表明です。 6月3日付け日経新聞で、『非核三原則見直し「核共有も検討を」 元政府・自衛隊高官が提言』との見出しで、日本の非核三原則の一部見直しや米軍の核兵器を日本国内に配備する「核共有」の必要性についての提言が報じられました。極めて速いペースで戦争体制が整えられています。

今月19、20日には、天皇が広島を訪問する予定です。これに伴い『天皇陛下奉迎広島県委員会』が結成され、議員に対し委員の就任や奉迎事業への協賛、会費納入を依頼する文章が届きました。 湯崎県知事が名誉会長へ就任し、広島県、県教育委員会、広島市、市教育委員会が後援していますが、この委員会の事務所連絡先には任意の政治団体である日本会議広島の所在地が記されています。 天皇出迎え行事には広島市内の児童が動員されています。さらに問題なのは、『参加する児童の氏名や学級、読み仮名など個人情報を事前に宮内庁に提出すること』の同意が求められていました。結局、個人情報は不要だったことが判明しましたが、県・市を挙げてのこの動きには、市民運動団体、労働組合、被爆者団体から批判の声が上がっています。

奉迎事業の一つとして、提灯をもって天皇を迎える提灯奉迎が予定されています。これはかつて南京陥落時に行われた提灯行列を彷彿させるものです。南京陥落はその前後に南京大虐殺があり、その非道な行為の歴史を踏まえると、提灯奉迎を行うことに私は強い憤りを覚えます。昭和天皇はアジア太平洋戦争における戦争責任をとることはありませんでした。またその後を継いだ平成天皇、そして現在の天皇も戦争に対する謝罪はしていません。しかし、被爆者の苦しみや沖縄の基地負担の重さは、過去の戦争の延長線上にあります。今、戦争の足音が再び聞こえてくる情勢の中で、天皇の広島訪問とそれに付随する奉迎行事には、私は明確に反対の意を表します。天皇制をもって再び侵略戦争に向かう一歩に広島が利用されることがあってはなりません。

戦争遂行のためには真っ先に切捨てられるだろう、地方の小さな町だからこそ、この恵まれた環境の中で、命を慈しみ、育むまちだからこそ、戦争絶対反対・核兵器廃絶を真正面から訴えることが重要だと考えます。

2025年5月4日日曜日

岩国基地撤去=全基地撤去を!!

『4・28沖縄デー闘争』として、4月29日岩国駅で、街宣・集会と米軍岩国基地正門へ向けたデモに参加しました。

以下は、その集会での私の発言です。

岩国の皆さん、そして岩国を訪れた皆さん、私達はヒロシマ大行動実行委員会です。私達は日常的に『戦争絶対反対、核兵器廃絶、全基地撤去、中国侵略戦争を許すな、』を訴え行動しています。昨年の8月6日は、広島市が多くの反対を押し切って出してきた原爆ドーム前の集会規制と対決し、早朝の原爆ドーム前の集会とデモを闘いました。

私は、広島県の北西部安芸太田町から来ました。私たちの町は、アメリカ軍戦闘機の訓練空域エリア567があり、毎日のように轟音が鳴り響いています。 先月町議会選挙があり、私は3期目当選を目指し、『戦争絶対反対、中国侵略戦争許すな、そして、私達の空を戦争の訓練場にするな』と訴え選挙戦を闘い当選しました。この選挙を通じて、多くの人は、戦争は絶対に起こしてはいけない、原爆は許さないと思っている、それを訴える議員を求めていると確信しました。これからも『戦争絶対反対』を訴え行動していきます。

岩国米軍基地は極東で最大かつ最速で出撃可能な航空基地です。大拡張と機能強化によって軍港(軍事目的に利用される特別な大規模港湾)と軍事空港を併せ持つ、西太平洋における重要な補給基地であり、朝鮮半島、中国から中近東までの出撃・兵站の拠点基地です。現に朝鮮戦争,ヴェトナム戦争,湾岸戦争,アフガン戦争,イラク戦争とこれまで米軍がアジアで行った戦争にはすべて岩国の部隊も出撃してきました。アメリカ軍にとって非常に使い勝手のいい重要な基地と言われています。

昨年11月に、基地機能強化となる最新鋭のステルス戦闘機F35Cや、多様な任務に就くオスプレイの配備が配備されました。在日アメリカ軍で、オスプレイが配備されるのは、沖縄県の普天間基地と東京の横田基地に続いて岩国基地は3か所目、海軍のオスプレイや最新鋭F35Cの配備は国内で初めてです。中国侵略戦争に向けての具体的配備であると思います。

今、沖縄島、琉球弧の島々ではまさに戦争の最前線に立たされようとされています。軍事要塞化、ミサイル配備、島民の避難訓練、そして相次ぐ女性に対する性暴力。戦争体制に入っているとしか考えられません。私達は、再び沖縄が侵略戦争のための捨て石にされる事を許してはいけません。それに加担していけません。

もし中国侵略戦争を起こせば、互いの多くの兵士、民衆が殺し殺されることになります。ここ岩国も米軍の重要は戦略基地で、相手国からの攻撃対象になります。そして軍事、経済の1位と2位のアメリカ・中国が戦闘状態になるという事は第3次世界大戦にもなりうること、核戦争もなる可能性があるという事です。戦争は始まる前に止める!それは今です。沖縄、岩国、ヒロシマと、全国、全世界の人々と連帯し戦争を阻止しましょう!

2025年4月2日水曜日

安芸太田町議会議員選挙に当選しました!

仲間の惜しみない協力、地域の皆さんの温かい支援・応援のお陰で、議員3期目当選を果たす事が出来ました。

『中国侵略戦争反対、地方切捨て許さない』を訴えるビラを全戸ポスティングしたのが、今年1~2月。2月末から3月にかけての議会定例会を終えて、2期目最後の『大江あつこニュースレター』を配布。そのまま選挙戦に突入という慌ただしさでした。

3月25日の出陣式、26日の個人演説会では、6人の推薦者から私の日常の議員活動を余すところなく紹介してくださり、私の人となり、政治姿勢を評価する言葉で、温かく強く熱烈に励ましていただきました。私は議員とし取り組むべきこと、信頼は信頼としか交換できない故、議論を大切にしていきたい事を述べました。

暑い前半の2日間、雪さえ舞う後半、安芸太田町をくまなく回りました。家から出て声援してくださる人、その方の家の前を通る度に何度でも手を振ってくださる人、私の議会ニュースレターを掲げられる人、街頭演説で何度もうなずいて聞いておられた人、たくさんの人の応援に励まされながら駆け抜けた選挙戦でした。『みんなでやり切った感あり』です。

結果は6位(11人定員)当選! 1期目12位(12名定員) 2期目10位ですから、本当に嬉しい結果です。私の場合は組織票もなく、親戚票もほんのわずか、地域の有力者に票の取りまとめを依頼することもしないのですから、投票者のほとんどは、私の考えや議員活動を評価してくださったのだと思います。

任期の終わりは2029年3月です。激動の4年間になるでしょう。中国侵略戦争阻止、町や地域の切り捨て反対、保育・教育、社会福祉・社会保障を後退させることは許さない。これからが正念場です。『地方にも、大江さんのような議員も必要だ』の声を聞きます。闘う地方議員として頑張ります。

2024年12月27日金曜日

来春(2025年3月)の選挙に出馬することを決意しました

今年も残すところあとわずかとなりました。

そして、2期目議員としてもあと3か月となりました。

この4年間(1期目を含めれば8年間)、私の主張である 『*地方切り捨て政策反対 *人の命も自然も守り抜く *戦争・核兵器・原発反対』をぶれることなく言い続け、具体的な形で取り組めてきたか振り返っていますが、まだまだ道半ばと感じています。さらに議員として頑張っていきたいと考え、支援してくださる方々や仲間の皆と話し合い、来春(3月)の選挙に出馬することを決意しました。

• 戦争絶対反対、福祉切り捨ては許さない、民衆の団結こそ力

ウクライナ戦争の激化、パレスチナ大虐殺の残虐さ、それに対する世界中の反戦行動の高まり、また、韓国大統領の「非常戒厳」の宣言と、市民、・労働組合の大規模集会やデモによる抗議行動は、私に戦争を起こす側や圧政への怒りを沸かせ、同時にそれへの圧倒的抵抗に勇気や連帯や希望を与えてくれます。

国内でも戦争情勢が年を追うごとに迫っていると感じます。軍事費2倍化、沖縄島や南西諸島(琉球弧)の自衛隊の軍事基地(アメリカ軍との共有)の拡大や戦時下での島民の具体的避難の策定や避難訓練の実施、日米や軍事同盟国との度重なる大規模共同演習。そして、反戦反核を訴える運動への弾圧も、一線を超える状況です。平和と思える日常も一皮むけば、戦争はひたひたと足元に及んでいると感じざるを得ません。一方でひるむことのない抵抗闘争も確かにあります。

私達の生活もまた、税金や物価は上がり、福祉が後退し、更に厳しくなっています。地方の人口は減少の一途をたどり町の機能の維持が問題となる時期も遠い先の事ではありません。しかし、地域や世代や性別で分断される事なく皆が人間らしく生きたと各地で声が上がっています。

これからも私は議員として、一人の人間として、競争原理や利益追求に支配されたこの体制に抗い続けていきたいと思っています。

■この4年間、私が一般質問した項目です

(一般質問とは・・・一般質問は定例議会において行われ、議員が町(執行者)に対して、施策の執行状況又は将来の方針、政策的提言や行政の課題などを直接質すものです。)

安芸太田の保養活動は今年で終了します

  • 12月8日 NAZEN(全ての原発今すぐなくそう)ヒロシマ総会での発言(抜粋)
  • 私たち安芸太田保養支援グル―プは、2013年から今年2024年まで福島原発事故で被ばくした親子を、被ばくの心配をすることなく、のびのび日常の生活を送っていただきたいと、安芸太田への保養に招待する活動を行ってきました。そして今年で終了としましたので、これまでの保養も含めて報告します。

    2013年から今年まで延べ70組の家族が来られました。6回参加という家族もいます。田舎の親戚の家に帰ってくるような関係になりました。 最初の頃、まだ子ども達が小さかった頃の子どもの感想です。

    『今年はプールや海に行ったり、ヘビやトカゲ、ヤモリ、イモリなどをつかまえて楽しかったです。お好み焼がおいしくてヤモリが近くにいてよかったです。次もお願いします。』『初めて海で泳げてうれしかったです。でっかいなみが来て、そのなみにおされて、砂浜につれていかれて楽しかったです。』

    その子ども達も成長しました。今回お便りと安芸太田のお米ともみじ饅頭を送ったのですが、おかあさん方から次のようなメールが来ました。『息子は大学生になりました、全く何も心配せずに、安全な場所で安全な食べ物。皆さんと共に楽しい時間を過ごせる事に心身ともに救われた家族が、私達を含め沢山いたと思います。』『娘は20歳になりました。夏休みに、放射能を気にせず,自然の中でのびのび遊べたことで、心も体も健康になったと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました💕』『子どもは、中2、中1、小5になりました。上の二人は安芸太田町で過ごした時間を今もよく覚えていて、楽しかったなぁと言っています。震災と原発で傷ついた心を、癒して頂いたこと、一生忘れません。本当にお世話になりました。』『保養に行くことも、原発反対の行動だと思っています。』

    保養をやって来て良かったと思うと同時に、当たり前の日常を奪った原発を本当に許すことはできないと、また改めて怒りが湧いてきます。

    この保養は、全て全国の支援者の皆さんからのカンパで賄いました。今年の振込用紙にはたくさんのメッセージが書かれていました。*長い間の保養支援、お疲れ様でした。*福島の人のためにありがとうございました。*顔を知らなくても仲間だと思っています。*保養支援は最後と知り心が痛みますが、核と戦争のない社会をつくるため私も頑張ります。などです。

    保養に来られた家族はみんな、安芸太田の自然の中でのびのび過ごされました。その安芸太田町は、地方切り捨て政策に翻弄され、空は戦争の訓練場にされています。この資本主義体制の中で富を蓄積し、権力を集中させ、制度も民衆もその支配下に置こうとする層は、資本主義の存続と資本家の利潤追求のためには、人の命も生活も犠牲にする、戦争だってするのです。

    保養は今年で終わりましたけど、被ばく者にとって、検診・治療は、一生不可欠です。国によって保障すべきだとこれからも訴えていきます。そして反戦・反核・反原発を全国の皆さんと共に闘っていきます。

    10.20ローカル線廃止反対庄原集会(発言抜粋)

    私は、安芸太田町町の大江です。私の地元の路線が廃止されてもう21年が過ぎますが、今でも思い出話が出ます。まさに私たちの日常生活一部となっていました。

    ローカル線切り捨て絶対反対!です。

    先ずは、報告から。以前この集会で、安芸太田町は、太田川にかかる13本の橋梁と、国道や県道をまた7本の跨道橋(こどうきょう)合わせて20本の橋梁を撤去する必要があると話しました。現在、国の補助と町の自主財源で一本の橋梁の半分と、跨道橋1本をようやく撤去できました。残る18本の撤去、財源はどうするんでしょうか。町単独はほぼ無理です。老朽化し危険な状態なってどうなるんでしょうか。

    安芸太田町の人口減少はすさまじいものです。1980年(44年前)から比べると人口は約57%減、生産年齢人口は約72%減です。しかしこの人口流出は、今に始まったものではありません。私の住んでいる旧戸河内町では、1963年(昭38)年38豪雪で多くの世帯ごとの都市への流出があったとは言え、戦後1955〜73年の経済成長期、国の政策で労働力が都市へ集中させられ、中山間地域は一気に過疎化が進みました。人口のピークだった1955年から1970年の15年で、9157人から4868人、実に43%の減少です。可部線が戸河内町まで延伸されたのが1969年、その時はすでに人口はこのような状況、その後も現在に至る間、緩やかながら減少していきました。地方の過疎化は宿命ではない、路線の利用者減少・赤字は自治体や住民の責任ではありません。若い労働力の集中を必要とする資本主義が生み出したものです。

    人口減少をくい止める事に焦点を当てた国の取り組みは「地方に仕事をつくる」「人の流れをつくる」「結婚・出産・子育ての希望をかなえる」「魅力的な地域をつくる」でしたが、それどころか今日人材不足は危機的状況です。安芸太田では、医療・介護・保育現場にとどまらず、行政職員や民間事業所、どこも不足しています。介護・保育の現場は受け入れに制限をかけざるを得ない状況です。

    今年7月8日夜の8時前後に岩国米軍基地の戦闘機が私の住む地域、戸河内の上空を100デシベル近い騒音を立てて16回旋回しました。子ども達が「ゆうべすごい音がした。怖かった。」と口々に言っていました。私は中四国防衛局に電話をしてこの状況について問い質し、一般質問で町の対応を追及しました。町の上空で行われている異常な事態、戦争訓練は日常的です。また、岩国米軍基地所属の軍用機の機種変更として、最新鋭の、オスプレイの配備とF-35ステルス戦闘機が配備されました。この配備は米国以外では日本だけのようです。対中国侵略戦争に向けての配備だと思います。

    石破首相は「核共有」に前向きな姿勢を示していますが、アメリカとの核共有は日本国内に核を持ち込まなくてできるのでしょうか。 核弾頭が岩国米軍基地か沖縄か、日本中の米軍機基地のどこかに配備され、それが使用される事を絶対阻止しなくてはと思います。

    被団協がノーベル平和賞を受賞して、地域の方やイラクのドクターから『受賞おめでとう』のメールや言葉をいただきました。被団協の運動にはかかわっていない私ですが、地元で黒い雨や反戦反核を訴えているからの励ましの言葉だと感じました。

    来年3月は安芸太田町議会選挙です。自治体議員としてやるべき義務と責任があるとの思いで出ることを決意しました。

    2024年8月18日日曜日

    2024年『福島原発事故の被ばくから遠ざかる“親子で保養”』を終えて

    安芸太田の有志で安芸太田保養支援グループを立ち上げ、『福島原発事故の被ばくから遠ざかる“親子で保養”』を始めたのは2013年です。この年希望者はありませんでしたが、次の年は7家族、そして多い年は12家族に保養をしていただきました。途中コロナ感染症を心配して2回休みましたが、9回の実施で述べ70家族(大人78人子ども118人)を受け入れました。

    安芸太田での保養は、7月下旬から8月中旬の間、それぞれ都合の良い期間に来てもらい、こちらで用意した空き家で地元の野菜やお米で自炊しながらのびのびリラックスした生活を送って貰うものです。支援の内容は、安芸太田までの交通費・宿泊・移動用車の貸し出しなどです。コロナまでは、みんなで楽しむバーベキューや海水浴も計画しました。何年も続けて参加する家族が多く、子ども達の成長を互いに喜ぶ事が出来るのも嬉しいことです。

    当初は「食べ物を気にせずに何でも食べる事が出来る。」「子どもに泥んこ遊びをさせられる。」「落ち葉も平気で触らせられる。」「プールで泳げる。川遊びや海水浴も楽しめる。」など、本来当たり前にできていた事を子どもに制限させている辛さとここに来ての開放感を話されていました。最近は改めて、東日本大震災と原発事故発生の際現地はどうだったか、自分たちはどう避難したについて話をしてもらったり、また成長した子ども達と原発や戦争、原爆の事を話す事もあります。

    来し方を思い、行く先を考えるとき、原発はあってはならないと心底思います。また、放射線による健康被害はこれからもどのように発症してくるか分かりません。国・東電は原発事故の謝罪と、放射性物質に起因する病気を認め、今後健診と病気になった時の十分な治療を制度的に保障すべきです。

    さて、当保養は支援メンバーの高齢化やスッタフの人数減少等により、年々実施していくのが難しくなってきており、今年で安芸太田での保養は最後としました。運営の全てを全国の支援カンパで賄う事が出来ました。今年振込用紙にはほとんどの方が、「長い間の保養支援、お疲れ様でした。」「福島の人のためにありがとうございました。」「顔を知らなくても仲間だと思っています。」「保養支援は最後と知り、心が痛みますが、核と戦争のない社会をつくるため私も頑張ります。」などのメッセージを書いてくださっています。この様に私たちの保養を心から応援してくださる多くの方のお陰で、保養を続ける事が出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。

    これからも原発新設、再稼働、そして全ての関連施設に反対していきます。福島原発事故により発生している汚染水放出も許せません。核兵器使用を正当化するような言動がみられますが、絶対に反対です。福島の皆さん、全国の皆さんと共に頑張ります。

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    2024年8月16日金曜日

    『なんがなんでも戦争させない、核兵器を使わせない』今を生きる私たちがすべき行動

    1945年8月15日、日本は終戦(敗戦)を迎えました。アジア諸国への植民地支配、侵略戦争、そして自国の民へは「若者よ、人を殺し、街を破壊して来い」と兵站もままならない戦場へ送り出し、国内は思想・言論の弾圧、あらゆる労働、物資の戦争への動員、民衆の生活は困窮の極みとなりました。日本の侵略によりアジア・太平洋諸国で2000万人以上、また日本の兵士民衆は310万人以上の犠牲者を出しました。

    8月15日に行われた、安芸太田町戦没者追悼・平和祈念式典に参列しました。安芸太田町遺族会代表と広島県議会議長以外、町長式辞を始め来賓の追悼のことばには、恒久平和への思いは述べられましたが、原爆投下を追及し核兵器禁止を訴える文言はありませんでした。これまでは考えられないことです。この姿勢は、国の核抑止論に同調するもので、多くの被爆者や民衆の訴えと大きく乖離し、また次世代に原爆の悲惨さを継承していこうという政策に矛盾するものです。私は本当に落胆しました。しかし、安芸太田町遺族会代表の追悼のことばは、形式的ではない、心底『戦争はしてはならない、原爆はあってはならない』との訴えで胸に迫るものがありました。

    式典の後、この間町が上映している『はだしのゲンが伝えたいこと』の上映を観ました。その中で、父親は反戦主義者で戦争に反対する行動をとり、刑務所に1年以上も入れられていたことや、原爆投下後の惨状をリアルに語っておられました。途中『はだしのゲン』の原画や、広島市内の各所を訪れての証言もあり、素晴らしい映像でした。

    (中沢啓治さん71歳の時のインタビュー)

    中沢さんは、戦争を憎み、原爆を憎み、戦争を遂行した天皇や軍部・警察の責任を問い、戦争一色に染まった当時の民衆の意識も問題として追及しています。子ども達への講演では、『戦争というのはいきなり起きるんじゃあない。戦争を嫌うやつを何がなんでも戦争の流れに引き込んでいく。流れの恐ろしさ、これを知ってほしい。どんな偉い人が「戦争をしろ」と言ったって、どんなことがあっても反対しなさい』と言われています。

    そしてこの日の午後、安芸太田町上殿地域にある『共同墓地』に行きました。これは旧上殿村が造営した、明治以降太平洋戦争に至る戦死者・原爆犠牲者の84基の墓が建つ墓地です。お盆の84基のお墓には、上殿地区遺族会の皆さんによるものでしょうか、それぞれにお花が添えられていました。 この共同墓地は、「ふるさとの戦争」という本で紹介されています。その中で著者は「84基の墓標銘は、そのまま小さな村の戦争の記録を刻む」と述べ、地元の人の「忘れちゃいけん場所です。戦争を繰り返さんためにも、子や孫にこの墓地の意味を伝えたい」の言葉が紹介されています。

    今、日本の政権はアメリカとの核同盟を主張し中国との戦争を徹底的に煽っています。私たちは、今を生きる者として『何がなんでも戦争をさせない、核兵器は使わせない』をゲンのお父さんのように行動として貫かなければならないと思います。

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    2024年8月12日月曜日

    原爆投下79年ヒロシマ反戦反核の闘い

    8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキ、あの残虐極まる原爆が二度も投下された年から79年が経ちました。

    これほどむごい殺され方はないという死を無差別に強制されました。そしてその後今に至るまで被爆者は、放射線被ばくによる様々な病気の苦しみと不安の中で生きています。だからこそ、被爆者はこのような苦しみは再び他の誰にも負わせたくないと核兵器廃絶を訴え闘ってきました。

    大日本帝国による、アジア諸国への植民地支配と侵略戦争の帰結として原爆投下があることを考えるなら、私は、この国がこれから先他国を侵略する戦争を絶対に許してはいけない、そして再び絶対悪である核兵器を世界のどこにも使わせてならないと心底と思います。

    しかし、多くの被爆者や市民、活動家が反戦反核の声をあげているにもかかわらず、岸田政権は核保有国アメリカの核戦力に依存する『核の傘』に入り、アメリカ核同盟国として核兵器保持・使用を認める姿勢を貫いています。

    広島市は今年5月、8・6の朝5時から9時の間、ドーム前を祈念式典会場と新たに定義して、周辺の道路まで含め入場規制をし、手荷物検査を実施すると公表しました。(法的根拠はなく、形式的にはお願いと広島市は言っていました。)この規制の理由を広島市は、昨年の8・6原爆ドーム前での反戦反核運動団体(8・6ヒロシマ大行動)と右翼市民団体と市役所職員のトラブルと、そして半年も経っての8・6ヒロシマ大行動団体側の5人の逮捕をあげています。担当課長は、「この規制の原因をつくったのはあなたがただ。」と公言しました。しかしこの事件の担当弁護士は「原爆ドーム前北側に向かう当該市民団体(逮捕された市民団体)の行動を別の市民団体の構成員が体当たりするなどして妨害してきた。それに対する当該市民団体の対応に広島市職員が何らかの形で巻き込まれてしまったというのが本件刑事事件です。」と述べています。

    8.6の朝、8・6ヒロシマ大行動は規制が敷かれる前夜から夜を徹してドーム前に座りこみ、翌朝集会をやり抜き、8時15分黙とうをして、逮捕者を出すことなくデモに出ました。例年超大音量で悪罵を発する右翼団体も締め出され、トラブルもありませんでした。私は規制がかかった時間の後この中の集会に入ろうとしましたが、鉄策が置かれ、広島市職員、民間警備会社職員、警察、機動隊の何重もの妨害の中で、外からの参加になりました。しかし、多くの警備隊に阻まれながらも、5メートル先で行われている(良く見えない!)集会が、弾圧を跳ねのけて行われている熱気は感じられました。広島市が、反戦反核運動をつぶそうとしていることは許せません。かつて国が戦争にのめり込んでいく中、自治体はその末端組織として、民衆を徴兵し、監視し、調べあげる兵事係を担わされました。その悔恨から、戦後国から独立した形で地方自治体はあります。国が戦争へ向かおうとしている時、自治体は民衆の一番近い所で戦争反対を訴えるべきです。市民への弾圧などもってのほかです。

    新聞やテレビ等では、この事実と正反対に捻じれにねじれて報道しています。これではジャーナリズムもまた反戦反核つぶしの一端を担ってしまっていると考えざるを得ません。しかしその中でも異議を申し立てる新聞社はあります。東京新聞は、この様な見出しで報道しました。『平和祈念式典「入場規制 8・6その日...」『平和は自由が保障されてこそ』『奪われた反戦反核の場「政治利用」』。 地元新聞社・テレビ局こそ丹念に事実を調べ上げ、反戦行動の自由を奪わせない立場に立った報道を望みます。

    反戦反核の行動は、この日ばかりではありません。不断の行動のなかで、この日を迎えます。岸田政権はかつて侵略し多くを殺し焼き払い奪いつくした中国をアメリカと共に敵国と名指しし、戦争も辞さない構えです。沖縄、南西諸島(琉球弧)には、それに備えて自衛隊の基地が建設拡大しミサイルを配備しました。これからも今起きている「ウクライナ戦争反対、ガザ大虐殺今すぐやめろ」そして自国が起こそうとしている戦争、核戦争は絶対に許さないと訴え行動していきます。